10Dec
人生は、『あなた』が創る物語。
こんにちは、
宝石+実践心理で輝く人生を創るお手伝い
パーソナルジュエリスト
佐瑠女まきです。
【三回忌】
今日は、相方の命日。
三回忌です。
ほんで今日は福岡でジュエリー展示会。
https://www.reservestock.jp/events/220229
三回忌といっても
去年が一周忌で
二年目が三回忌なので
亡くなってから
二年。
…ということになるのですが。
2015年5月の後半に
がんの疑いがあると分かり
かかっていた耳鼻科から紹介状を書いてもらい
即、大きな病院へ。
そしてPET検査。
そして
がんであることが判明。
その後、がんの種類や病状を明らかにして
治療の方針を決めるための検査をしながらの診察。
2015年、6月9日、病院に診察に行く直前に
お茶を喉につまらせて呼吸困難になり
救急車を呼び、そのまま入院。
われながら
ものすごく冷静に救急車を呼び
往診時に忘れてはいけないものはしっかりと携帯。
まるでドラマのワンシーンのような感じで
リアリティーがなく
救急車に乗り込み、
彼が運ばれた急患室の前で座っていました。
ほんまにドラマ見てたみたいです。
…で、
検査でがんが判明してから
あっという間に病状が進行していて
下手すると、今年の年が越せるかどうか?
…と、お医者さまから宣告を受けていました。
もう、嘘ですよ、嘘。
嘘でしょって感じ。
入院してすぐに
気道確保のため気管に穴を開け
胃瘻の手術もしました。
2度にわたって
大腿部の血管から抗がん剤治療。
『彼は完治する。絶対に。』
そう信じていました。
だから
極力、仕事のスケジュールも変えず
直前まで悩んだものの、
パリに3泊5日で行き
できるだけ普通に
できるだけ通常通り過ごしながら
毎日病院に通っていました。
できるだけ普通に
できるだけ通常通り
そうやっていないと
自分自身がおかしくなりそうだったから
…というのも
あったんだと思います。
彼が倒れてから
まったくもって『黒い服』が着れなくなりました。
黒い服を着るのが怖かった。
彼の前に黒い服を着ていくことが怖かった。
仕事で黒を着ることはあっても
黒装束にすることはありませんでした。
毎日、14時くらいまでに
ブログを書いたり、作業して
15時から食事が終わる19時くらいまで
病院にいて
帰ってくる。
そんな生活が三か月続きました。
ずっと一緒にいた人がいない生活は
自分にとって相当なダメージで
やる気ゼロ。
とりあえずなんでもいいから
簡単な食事をすませる。
プラス、カンビール500ml×2本。
飲まないとやってられません。
帰ってきたらグダグダです。
見てるか見てないか分からないけど
とりあえずテレビをつける。
そんな毎日。
彼が気管をつまらせた時、
たまたま私がいて
診察に行く直前だったから良かったものの
私のいない時に
もし倒れてそのまま亡くなっていたとしたら…
私、頭おかしくなるか、
突発的に自殺してもかもしれません。
今思うと、
この時期のショックが一番、大きくて
一番、しんどかったです。
もちろん亡くなったときも
ショックで悲しかったですけど
まさか、もしや…という覚悟は
どこかでできていたんじゃないかと思う。
思い返してみれば
彼はちゃんと半年間、
徐々に別れの準備をしてくれたのかもしれません。
そんな自分に寄り添い続けた三か月。
おかげさまで抗がん剤治療と
放射線治療で
気管を圧迫するまでに大きくなっていたがんが
ほとんどなくなり
9月の連休前に退院。
入院生活から、月に一度の抗がん剤治療へと
切り替えることになりました。
退院直後に、知り合いの散髪屋さんで
抗がん剤ですっかり薄くなった髪を切り
坊主頭に。
(これがなかなか似合ってたんすよ)
彼が家に帰ってきた時の安堵感。
静かでおだやかな時間。
かけがえのない時間。
彼との時間をもっともっと大事にしよう
この一瞬を大事にしよう
できるだけ彼と一緒にいる時間を作ろうと思いました。
また
9月に帰ってきた時点では
自転車に乗って出かけるくらい元気で
このまま回復すると思ってました。
回復してほしいって思ってました。
10月、入院時に転移が見つかり
ふたたび絶望しかけるも
奇跡は起きるって信じてました。
でも
11月の治療も芳しくなく…
12月の入院時に
坂道を転がるように容態が悪くなり…
昨日まで歩けていたのが
歩けなくなり
コップが持てなくなり
12月10日、午前6時頃、
帰らぬひととなりました。
…と、ようやく
泣きもせず
淡々と
記事として書くことができるようになりました。
2015年の年明けに
そろそろ籍をちゃんと入れようと
言っていたことから
彼のお母さんとも会っていたので
入院時には交代で、彼のつきそいをしながら
仲良くなることができ
彼の実のお兄さんやお姉さんにも
よくしてもらい
お通夜やお葬式は
身内同然に扱っていただくことができ
今年の8月のお盆のときに
お兄さんに、東京に引越したことを報告すると
『(福岡にいないと思うと)寂しいな』と
言ってもらったり
おかあさんは
『まきちゃんが娘やったらよかったのに』とまで
言ってもらえる間柄になっていました。
彼が亡くなったとき、
彼が高校生の頃から
弟のようにかわいがってくださった方に
『いっぱい泣きなよ。』と、
声をかけてもらい
寄り添ってもらい
彼と高校時代からのつきあいがある
一番の親友の方と
一緒に悲しみを分かち合い
(お通夜明けて4時59分、<山笠時間>に、二人で祝いめでたば、歌うたし)
2016年は、
彼の家族と、
家族同然の人達とともに
彼を失った悲しみと寄り添い続けた一年でした。
…というか
悲しみを抱えながら
とりあえず全力で走った感じです。
2016年の一周忌の直前に
ぱったりと足が止まり
ブログが書けなくなり
ここでようやく本腰入れて
悲しみと対峙することになりました。
それまでも
別に
悲しみを我慢していたわけではないし
泣きたいときには泣いたし
クダグダなときはグダグダのままで
無理して立ち直ろうとか
我慢しようとか
一切、しませんでした。
幸か不幸か
自分が得てして学んだ心理療法が
功を奏し
その都度、自分を癒し
悲しみを昇華していきました。
そしてわかったことがあります。
悲しいのは
それだけ彼のことが大事な存在だった証で
それだけ愛していたから
そのぶん悲しいってことに気づき
悲しみも愛なんだなと実感。
ただ生きて居ることが
どれだけ奇跡なことなのか
自分の足で立ち
自分の目で見ている風景の
リアリティ
まだこの世界で生きたい。
もっと生きることを体現したいと
心から思うようになりました。
ちょうど一周忌の日に
彼が亡くなったくらいの時刻に
『もう、よかじぇ~(もういいよ、大丈夫だよ)』と
耳元で声がしたのは
彼からのメッセージだったんだと思います。
テル、ほんまにありがとう。
かけがえのない誰かを失うって
とても辛いです。
悲しいです。
自分の半分を失うくらいしんどいです。
いや、確実に、自分の一部を失いました。
そんなことできないってわかってるけど
代われるものなら、代わりたい
代われないなら、せめて私の寿命を半分あげたい
悪魔に魂売ってそれができるなら
そうしたい
それでもだめなら
黄泉平坂まで彼を迎えに行く。
絶対に後ろを振り向かないで
彼を取り戻す。
絶対に手を離さないし
黄泉の国から連れて帰る自信がある。
ばかげてるけど
ほんまに思ってました。
一方で
悲しみと向き合い続ける毎日。
ひょんなことから
FF10のユウナのコスプレしたり
2017年2月には、
地球の裏側、
ウユニ塩湖で異界送りもしてきたし。
悲しみは、自分なりに表現し
昇華し
手放してきたんですが…
実は、
その一方で、
2017年の10月まで
ついこの間まで
わたし
無意識では彼が生きてるって思ってました。
彼の写真の前に
ごはんやビール、<かげぜん>してました。
いつも彼と会話してました。
10月のある日、
夢で
彼と車に乗り込んだ瞬間、
彼の体が
まるでブロックが崩れるように
ぽろって壊れた…
崩れ去ったのです。
そのとき目が覚めて
『ああ、彼って死んだんだ。もうこの世界にはいないんだ』と
ようやく
無意識が
認識したんです。
それから
<かげぜん>もしなくなり
彼と普通に会話することはなくなりました。
もちろん
忘れたわけではないですよ。
彼との思い出は
ちゃんと心にありますし。
語りかけてはいますが
生きてるときのように、ではありません。
そして、
いつまでもクヨクヨしててもあかんのです。
そもそも彼自体、しんみりしたのは嫌いだし
にぎやかしいのが好きな人だし。
生きてる者として、
生きてる限り
未来を向いていかなきゃあかんのです。
人生とは一方通行なのです。
…で。
無理に、そう思うのではなく。
彼の肉体が崩れ去る夢を見て
ほんまにそう悟ったのです。
彼が亡くなったことで
私の心には大きな穴が開いてますが
それをふさぐことはしません。
そして
その代わりを探すこともしません。
また別な人…
新しいパートナーも
おいおい探すし。
きっとまたどこかのタイミングで
出会うだろうし。
でもそれはそれ。
彼の代わりではないのです。
新しいパートナーシップを築くし
自分もまた新たな自分になってると思うし。
今後、ユウナのコスプレしても
<弔い目的>ではなく
<楽しむために>やる。
水の次は砂。笑
…ってことで、
来年はサハラ砂漠でユウナかな。笑
もとい。
人生は、長いようで短い。
さて、とっとと人生、楽しもう。
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私から、あなたに伝えたいこと。
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今日も素敵な一日を!
佐瑠女まき
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