佐瑠女まき プロフィール
佐瑠女 まき
(さるめ まき)
パーソナルジュエリスト
ジュエリーデザイナー
アートクリエイター
●プロフィール
幼い頃から星を見るのが大好きで、
何億光年も離れた星の輝きを見ていくうちに、
自分は何のために生まれてきたのか?
人生の意味、宇宙の真理を知りたくなり、
占星術、心理、スピリチュアル等を学ぶ。
27歳の時、宝石と出合う。
ダイヤにはダイヤの、ルビーにはルビーの
比べようのない良さ、美しさ、輝きに触れ、
自分も、自分の良さを発揮して輝けばいいと教えてもらう。
お気に入りのジュエリーが心の支えとなり、
自信と勇気を与えてくれたことから、
人生の相棒となるようなジュエリーを創りたい!と思い、
彫金を始める。
地球が何億年もかけて、
地中深くで生み出した宝石と出合う奇跡、
宝石を手にすると、色が変わったり、輝きを増したり、
意図して身に着けると、持ち主の意識を変えるトリガーとなり、
人生の流れが変わることから、
人と宝石が共鳴し、相互作用することを確信。
人と宝石のエネルギー調整、マッチングを行う。
また、一人ひとりと向き合い、
個々の本質を活かす実践型コーチングやコンサルも行う。
クライアント実績には、33歳バツ2女性が理想のパートナーと出会い
再々婚、出産、起業し、念願の田舎暮らしを実現、
IT系会社員が、リーダーの自分がいなくても動くチームを育成、
1日1時間働く「みなし勤務」となり、
在宅勤務制度を提案し実現化する等、望む生活を実現、
世界の学会で発表しながら海外旅行を楽しむ医学博士、
自身の経験と知識を活かした保育士が、独自の幼児教育を確立、
4000人中4位、月収50万を達成等、経営者から主婦迄幅広くサポート。
17年で延約4,000人。
自身もまた「自分を発揮する生き方の実践者」として、
2012年より画家として活動、日本とフランスを中心に作品を発表。
他、表現者として、パリ・ジャパンエキスポ、
ウユニ塩湖でのパフォーマンスを行う。
「一人ひとりが自分を発揮し、
お互いを活かしあう共創世界の実現」を目指す。
著書電子書籍『42歳のシンデレラ』
ID-アイディー https://id-kirakira.com
●著書 「42歳のシンデレラ」
●著書
電子書籍『42歳のシンデレラ』
~仕事も結婚も、たった一つの『あること』を変えるだけで、すべてが上手くいく!~
●プロフィール 続き
…と、書くと、
なんでも前向きに挑戦してきた人、だと思うかもしれませんが、
まったくそうではありません。
むしろ、怖がりでビビリで、いつも周囲の目を気にしていた
自信のない、自分が嫌いな自分でした。
…ということで、もう少し、おつきあいくださいね。
(幼稚園時代の私)
●子供時代について
三人姉妹の長女として生まれ、
お姉ちゃんとしての役割をひたすら果たす少女時代でした。
また、仕事ばかりで子供は母親任せ的、
仕事で疲れて帰ってくると機嫌が悪く、
子供に八つ当たり、まさに昭和の父を親に持ったうえ、
父の仕事の都合で、子供時代に7回の引越を経験し、
いつも慣れたと思ったら、すぐに引っ越し。
地域間のギャップや、勉強の進行度合いの違いに戸惑い、
ある地域の小学校では、1年に渡って靴を隠されたり
クラスになじめず、
自分の居場所がないと感じることもしょっちゅうで
常に親の機嫌や、
周囲の反応などを先回りして読むことを覚えました。
また、10歳の時に父が脱サラして起業。
家と会社の区別がなくなり、
今度は会社の未来にまでふりまわされる人生となり、
父の会社が大きくなるたび、
さらに家の中で問題が次々と起こり、会社の跡継ぎ問題も浮上、
会社の跡継ぎ候補と無理やりお見合い、
社員には、あなたが会社を継いでくれないと、
私達の生活が困るなどと言われ、
好きでもない人と結婚して、子供を産むこと、
自分が犠牲になることが、自分の人生なのか?
自分は何のために生まれてきたのか? と悩むような、
日々、悩みが絶えない人生前半でした。
その中で、
自分は何のために生まれてきたのだろう?という疑問のもと
スピリチュアル、心理、占星術などを
かたっぱしから学んでいくことになったのです。
今では、すべてが経験という学びで
それがあったおかげで
今の自分がいることに
心から感謝できるようになりました。
(写真 一番下の妹のお宮参り)
●起業について
そして、
31歳のとき、自信が過信になり、
共同でジュエリー会社を立ち上げるも、1年もたずに解散。
周囲に多大な迷惑をかけるという大失敗をしました。
しばらくは、父の会社で、
おとなしく商品企画やDM企画などを担当していました。
どうしてもジュエリーへの思いは断ちがたく、
いつか、いつか、が、
やがて、2年後、2年後というようになり…
…気づいたら、8年の歳月が過ぎていていました。
もちろん、その間も、
会社員をしながらジュエリー作家として制作を続け、
年一回のペースで個展を開催していました。
あるとき、
年が明けて、
年が明けて今年こそは…とは言わず、
また2年後には店を…と、
無意識に先延ばししている自分に気づき、
心を改めて覚悟を決め、
2015年、ようやく週末だけのアトリエ兼ショップを立ち上げたら
…その2週間後に、
福岡西方沖地震で震度6弱を経験し、被災。
大きく揺れる中で、なぜかテレビを押さえながら、
「このまま中途半端なままでは死ねない!!!!
まだやりたいことをやってない」と、
ぎゃあぎゃあ泣き叫んでいました。
そして、一念発起。
会社を辞めてリベンジ起業し、現在、15年目。
まもなく16年目を迎えようとしています。
(写真 2005年当初、週末だけのアトリエ兼ショップのはずが…)
●人生は波乱万丈。その奥にはいつも愛がある。
2015年5月、長年過ごしたパートナーが、
ガンであることが発覚し、
ガンの進行が早く、半年後の12月に他界しました。
いろんな意味で、精神的に大きな存在だっただけに
痛みは大きく、心に大きな穴がぽっかりと開きました。
悲しいことは悲しい、つらいことはつらい、
今まで心理のことをやっていて
素直に自分と向き合い、
悲しみや辛さを感じ切って昇華することができ
悲しみとは、それだけ大事な存在だったということ、
そこにはたくさんの愛があったことに気づき、
世界は愛しかないのだということを、
全身全霊で感じ取った出来事でした。
おかげさまで、彼への喪失感は癒えて、
今では良き思い出、
大切な人として慈しむことができています。
また、
一周忌を経て、かねてから仕事の活動拠点だった東京に
引っ越すことを決意。
2017年8月、福岡から上京し、現在は東京在住です。
東京は、子供時代に少しだけ住んでいたこともあり、
まさか自分がこうして東京に舞い戻ってくなんて
思いもしませんでした。
何しろ、子供時代の数多くの引っ越し経験で凝りていて
絶対に福岡から出ない!と、心のどこかで決めていたからです。
これもまた、父に対する反抗心だったことも分かり、
それも一緒に手放しました。
…なので、このきっかけは私にとって、
人生で大きなターニングポイントの一つです。
(サロンの窓から見えたハートのカタチの雲)
●ジュエリーについて
27歳の時、ひょんなことから宝石と出合いました。
もともとジュエリーにはまったく興味がなく、
叶姉妹のような、ゴージャスなお姉さま、セレブ、
夜のお姉さま方の高級アクセサリーという認識程度。
実際に、宝石のことを調べていくと…
もともと大好きだった、宇宙や占星術、
ギリシャ神話、色彩心理などと
リンクしていること
宝石は自然の石、地球のかけらであり、
同じものが一つとしてないこと
宝石は原石のままでは輝いておらず、
最大に輝くようにカットして磨くことで
はじめて宝石となる姿
ダイヤにはダイヤの、水晶には水晶の、
比べようのない美しさに
人も宝石と同じだ!!!
自分も、自分の良さを見つけて、
見いだし、磨いていけばいいのだと
教えてもらい、
会社でバッシングを受けたり、
いやなことがあっても、
お気に入りのジュエリーが
いつもそばにいてくれることで、
励まされ、勇気づけられ
だんだんと自分に自信が持てるようになり、
人生がだんだんと良い方向に変わっていくのが
分かりました。
一方で、身に着けたいと思うジュエリーがなく、
それならば自分が創ろう
身に着けると、自信や勇気が湧く
『人生の相棒のような存在となるジュエリーを作ろう!』と思い、
ジュエリー制作を始めることになったのです。
パーソナルジュエリー ID HP https://idjewel.com
ジュエリー オンラインショップ
☆パーソナルジュエリー ID アイディー https://id-jewelshop.com/
☆パワーストーン・原石 Jewel&Jems Solarium (ソラリウム) https://www.solariumjewel.com/
☆自分を表現するジュエリー Jewel Jewel ジュエル ジュエル https://www.jeweljewelshop.com/
●コーチング・コンサルについて
35歳の時、『相談したいことがある』と、
大切な友人に呼び出されるも、
心に一歩踏み込むことができないまま別れた数日後、
友人が自殺した苦い経験があります。
だから、
『本気で相手のことを思うなら、
あえて心に踏み込むことをひるんではいけない。』と、
心に固く誓い、あえてピンポイントで、
レーシックのような鋭い質問で問題改善を促しています。
人生を前向きにとらえていきたい。という人向けに
人生のコーチとして、前に進むこと、
未来の可能性を信じ、
今を生きることを第一に、
自分ではなかなか見つけられない、
無意識の思考のクセ、
陥りやすいパターンなどを改善する
お手伝いをしながら
自分自身が自分の人生のハンドリングを
自分でできるようにしていくことを
目指しています。
クライアントは『共に人生を楽しむ仲間』として、
愛と真心をもち、一人一人と深く関わり、
それぞれが思う『幸せ』を軸に、
『ただ寄り添い共感してもらうだけでは何も変わらない。
人生を変えるために気づき、改善し、行動したい。』という
向上心のある方に向けて、
欠点も含めて、自分を活かして発揮する方向で、
仕事ではコンサル的なこと、プロデュースなども含め、
プライベートとのバランスもとりながらのライフコーチング、
自分にあるものを活かして、収入につなげるビジネスコンサル
人生が<より豊かで喜びあふれる人生創造>を行っています。
また、自分が変わるだけでなく
自分の家族も周囲も変わっていくという心理、
潜在意識の奥深さ
人のつながりの深さ
人の成長を見させてもらっている自分もまた
とても学びが多く、
単なる仕事としてでなはなく
ライフワークとしてライフコーチング、
自分を最大に活かすビジネスコンサルをやっています。
(実践会終了後の懇親会にて)
ライフコーチング&コンサル https://idhappy.com
●ダンスについて
子供の頃から、なんとなく、踊ることが大好きで、
バレエを習いたいと思っていたものの
お金がかかることでもあり、それを親に言えず、
バレエをやっている友達のレッスン風景を
何度も見に行っていました。
中学・高校と新体操部で活動していたこともあり、
引退を機にダンスを始めたのがきっかけです。
しかも、自分で習いたい☆といったのではなく
母親が「ダンスもやったらどう?」という一言が
きっかけです。笑
踊っている間は、嫌いな自分のことを忘れられる、
自分のことを考えなくていい、
普段の自分とは別人になれることから、
すぐにダンスに夢中になりました。
18歳のあるとき、
プロダンスチームのオーディションに誘われ
「好きなことが仕事になる?」という衝撃の事実に気づき
オーディションを受けるも、そこでは不合格、
翌年、福岡アジア太平洋博覧会のキャンペーンガールに応募し合格。
キャンペーン先や、博覧会イベント会場で、
ダンスショーに出演。
その後、全国的に活躍しているストリート系プロダンスチーム
「インペリアルJB’s」に所属するも、
ダンスを職業として成り立たせるには厳しい現実もあり、
25歳で引退。
その後は、趣味として楽しむことを優先に続けています。
…とはいっても、ゆるい感じのものでは飽き足らず、笑
世界的に活躍しているダンサーさんのレッスンに通い、
ダンスを始めた当初の頃のように、てんぱりながら、
その楽しさを味わっています。
(タカラヅカ系からストリート系まで何でも踊ります)
2017年2月、ウユニ塩湖でのパフォーマンス
●アートについて
小さい頃から絵を描くのは好きで、
塗り絵、着せ替え人形のお洋服のデザインを考えたり
漫画を描いたりしていました。
中学の頃、美大を出て、
美術教師になりたいと思っていましたが、
起業した父の会社が軌道に乗るまで経済事情が苦しく、
普通科の高校を出て、美大に進学することを断念。
それでも美大への道は捨てがたく、商業高校でありながらも
受験対策の補講も受けてはいたのですが、
やりたいことは自分でお金を稼いで、それを元手にやり、
妹達が大学に行きたいと思った時に行けるように、
自分は大学進学を諦めようと決意し、
高校卒業して一般企業に入社。
美大の通信教育学部の資料も取り寄せたものの
なかなかピンとくる大学が見つからず
そこからなぜかダンスの道に入り… 笑
絵を描きたいという思いはあったものの
絵を描く時間がないとよくある言い訳もしつつ 笑
さらに年月が経ち…
そうだ、どこかのカルチャースクールにでも通えば
その時間だけは描く時間を確保できる☆
…ということに気づき
早速、カルチャースクールの案内を見ていたら
こんな絵を描く人に習いたいと思う先生に
巡り合うことができ
そこから本格的に絵を学ぶことになりました。
その翌年、
母の旅行のお供として、スペインに行く機会があり、
そこで
「ピカソのゲルニカ」を目の当たりにして
鳥肌が立ち
絵とは、国や年齢や性別を超えて
伝えられるものがある、つながることができる
感じあえるものがあると確信
そこで
自分も
国や年齢や性別すべてを超えてつながるアート
心に響くアート
その絵があるだけで、
場が整い、そこにいる人も整い、
調和した響きを奏でられるような
そんな絵が描きたいと思うようになりました。
さらにその翌年、
某場所で出会った人に、
パリ・ルサロンと通じている美術協会の公募展のことを
教えてもらい、
思い切って初挑戦し、初入選したことから
今に至っています。
個人的に
自分の絵は決して上手くはないし
画力もありません。
でも
伝えられる何か
響く何かはある。と思っています。
そして
これからは
さらに
世界中の人が見ても、心に響くような絵を
描こうと思っています。
(小学校低学年、なんちゃって画伯のどや顔 笑)
Makki art
佐瑠女まきのアート活動
HP https://makkisalume.jimdo.com/
オンラインショップ https://makkisalume.thebase.in/
●おまけ・作詞のこと
実は、
作詞家名、小泉 雨音(こいずみ うおん)
…という名前で、
作詞家としてメジャーデビューしています。
(現在は活動休止中)
親や周囲の気持ちを優先していくうちに、
自分の気持ちや本心を口に出して言うことができず、
気づいたら、詩を描くようになっていました。
思うに、
自分の中で湧き上がる様々な思いを
昇華していたのだと思います。
小学6年から作詩をはじめ、
それがいつしか作詞へと変わり、
2002年に作曲をしている友人とコンペに出した曲
「Rough Diamond」が、
新潟にある、みのわ宝石店のCMソングとして
採用されました。
新潟のHMVでは、ケミストリーを抜いて1位を獲得。
着メロに採用されたり、
新潟の天気予報のBGM、
新潟の結婚式の定番ソングとして歌われていたそうです。
実際、福岡の屋台で、
新潟の男性とお話する機会があり、
「みのわ宝石店のCMソング」と言っただけで
サビの部分をうたってくれました。
2018年3月、
アマチュア歌手の知人がメジャーデビュー決定し、
同曲をカバーして歌ってくれています。
2018年(4月22日発売)
作詞は、現在はやっていません。
…というのも、片腕として一緒にやってきた友達が
亡くなったからです
(コーチングのところで書いた友人は彼女)
もしまた、一緒に楽曲を書いていれる人が現れたら
やるかもしれません。
(…なので、活動休止中。ということで^^)
(そういえば、幼稚園~小学校6年までピアノをやってました)
●今後のヴィジョン
自分自身も、人生を創造し、可能性に挑戦しながら、
『人生はあなたが主役の物語』
『人生はあなたが創る物語』として、
ジュエリー制作、アート活動、ライフコーチング、コンサルなどを通して、
自ら自己実現すると同時に、
一人ひとりが、本来望む人生を実現するサポートを行い、
『一人ひとりが、自分を輝かせて生きる世界』を創造したいと思っています。
そのためには、まずは自分から。
自分自身がまずは実践していくことから。
そう心に刻んで、一日、一日、自分を生きています。
●私から「あなた」へ メッセージ
『貴女にも貴女にしかない良さがあり、
それを魅い出して発揮すればいいのです。』
そして、自分が望む未来を実現していく中で、
自分として生まれてきて良かったと
心から思えるような人生を創造していくお手伝いができればいいと思っています。
3人姉妹の長男的長女に生まれ、
自分より家を優先すべき。と思い込んでいた中で、
自分の存在意義が見い出せず、
自分は何のために生まれてきたのか?
本気で考えていました。
そんな中、27歳の時、ふとしたことから宝石と出合い、
ダイヤにはダイヤの、水晶には水晶の、
それぞれ比べようのない宝石達の美しさと輝きにふれ、
人もまた、それぞれ個性があり、
それぞれ自分なりに輝けばよい…ということを
教えられ、
こんな自分でも、ありのままの自分を素直に表現すれば、
それでいいんだ、と励まされたのです。
また、周囲からバッシングを受けながらも、
無言で仕事を頑張っていた時、
凹んだ時、悲しい時、辛い時、
いつも誰よりも傍にいてくれる大好きなジュエリーの存在が、
自信と勇気を与えてくれたことから、
『私も自信と勇気を与えられる
心強い相棒となるジュエリーが作りたい!』と思い、
彫金を開始。
そして、とあるジュエリーメーカーと出会い、
共同で宝石店を立ち上げることに。
しかし、ろくに経営の勉強もしないまま起業したことから、
1年で会社を解散。
周囲にも大変な迷惑をかける大失敗をしてしまいましたが、
ジュエリーへの思いは断ちがたく、
大失敗を教訓に、必要なことを学び、8年後リベンジ。
その2週間後、
福岡西方沖地震で震度6弱を体験。
『このままでは死ねない!』と、一念発起。
3か月後、完全独立。
自身の体験から、
現実は、自分の心が創りだしたもので、
自分と向き合い、心をクリアにすればするほど、
人生、仕事の業績さえも好転していくことを実感。
潜在意識の重要性に気づき、心のサポートも開始、
いつしかジュエリストの枠を超え、
人生全般をアシストする、
独自の仕事を創りだしていました。
もともとは、自分自身の境遇から、
自分について、人生について本気で考えていく中で、
心の底から湧いてきた思いに突き動かされるように、
やりたいこと、好きなことをしていくうち、
いつしかそれが仕事となり、
望む生活スタイルを実現することになりました。
そして、かつての私のように、
自分について前向きに取り組んでいる女性達を
アシストしていく中で、
自分が経験したことが、
すべて貴重な事例であることに気づき、
体験して良かった、
自分として生まれてきて良かったと
心から思えるようになっていったのです。
どんな人生の局面にも意味があり、
そこでの問題は、自分に与えられた
『ギフトの原石』を磨くために用意された
研磨剤のようなもの。
自分をさらに発揮するために与えられた必要なプロセス。
そして、それはなにも私に限ったことではなく、
貴女も同じ。
『貴女にも貴女にしかない良さがあり、
それを魅い出して発揮すればいいのです。』
そして、自分が望む未来を実現していく中で、
自分として生まれてきて良かったと
心から思えるような人生を創造していく
お手伝いができればいいと思っています。
佐瑠女 まき
あなたとどこかでお会いできることを楽しみにしています。